ピクシー、マルセイユ史上最高の10番
オランピック・ド・マルセイユ(以下OM)創設110年を記念して、
「ドリーム・チーム」の投票をサイトで行っていますが、
10番はピクシーが43%でトップです。

OM公式サイトのピクシーのインタビュー(意訳御免)

・110年の歴史で最高の攻撃的MFに選ばれ、今の気持ちは?

私にとってはとても大きな名誉であり、特別なことです。OMの歴史に名を刻んだ
選手達の中にいるのは輝かしいこと。ユーゴスラヴィアとツルヴェナ・ズヴェズダを
出た後、マルセイユは私の最初の外国のクラブでした。かなり良いオファーも
あったのですが、チャンピオンズ・カップを獲得する準備ができていた
マルセイユを選んだのです。もちろん、私にとってパパン、ワドル、モゼール、ボリ、
カントナといった選手達とプレイすることは挑戦でもありました。
私にとって正しい選択でした。

・OMでの思い出は?

スタッド・ヴェロドロームでプレイすることはいつも喜びを感じていました。
ピッチの上に12番目の選手がいるような素晴らしい雰囲気を作り出す美しいスタジアム。
そして、多くのクオリティの高い、トップクラスの選手達を擁していました。
OMはいつでも私の心の中にあり続けるでしょう。私は頻繁にクラブを変えるのを
好みません。怪我のためにヴェローナへ行きましたが、再びマルセイユへ
戻ってきました。このクラブと街は私にとってとても大切なもの。
プライベートにおいても、私の息子と娘はマルセイユで生まれました。
クラブと街と私の間には強い絆があるのです。

・20年経った今、チャンピオンズ・カップ決勝でゲタルス(監督)が後半遅くに
 あなたを投入したことが理解できますか?

マルセイユと私の古巣との素晴らしい決勝でした。決勝の5日前に、私はリーグでの
ニース戦でプレイし、良い試合をしました。タピ会長とベッケンバウアーが
私に会いに来て、祝福した程に。だから、私は決勝でスタートから出るものと
確信していました。プレイする準備はできていたし、OMは決勝で私のような
選手が必要だったと今でも確信しています。結局は、監督はスターティング
メンバーではないと私に告げました。私は驚き、何故なのかまったく
理解できませんでした。もしかしたら、私の古巣であり、仲間と対戦するから
だったのかもしれませんが…。

・レッドスターの選手達はあなたを恐れていた!

(笑)それは秘密ではないし、真実です。決勝の日、彼らは私がプレイするのかと
聞いてきました。最初私は、分からない、と言いましたが、結局ベンチにいると
告白すると、彼らはとても気が楽になったようでした…。

・何故自分はスターティングメンバーではなかったのか、レイモン(ゲタルス)に
 尋ねたことはなかったのですか?

いいえ、決して。私は監督の決定を尊重します。それはもう過去のこと。

・OMへのあなたの移籍については、多くのことを壊したあなたの膝の怪我をも
 思い起こさせますが…。

そう、もちろんそれは悔やまれることです。1990年のイタリアW杯の数週間後に
OMに来た時、とても良い状態でした。私は大きなことをしようと準備していましたが、
人生はそのようにはいきませんでした。私はシーズン2戦目のメッツ戦で負傷しました。
左膝の軟骨の怪我です。

・最終的には、あなたがOMでの最高のレベルになったのは、おそらくは
 不思議なシーズンだった93-94の時ではないでしょうか?

私はプレイできるように、100%に戻るようにハードワークしました。
私は良くやったと思いますが、八百長事件があり、チームは2部に降格となりました。
ほとんど全員の選手が去り、私は日本からのオファーを貰い、受けました。
1部のトゥールーズやランスからもオファーがありましたが、ピクシーは
フランスではOM以外のクラブではプレイできなかったのです。

・もしチームが降格しなかったら、あなたはマルセイユに残ったのでしょうか?

もちろん!

・ とにかく、マルセイユを忘れていない…

20年後にこのようなニュースを受け取るのは大きな喜びです。
私に投票してくださった方々、OM110年のドリームチームに選んでくださった
方々に感謝しています。

・あなたは日本からOMの結果をチェックしていますか?

はい。OMは競争力があり、とても才能あるチームだと思います。
あと少しの幸運が必要ですが、ディディエ(デシャン監督)はマルセイユにタイトルを
もたらすことができます。彼は1993年(CL優勝)の時のように、今回は監督として
リーグでそれを成し遂げるでしょう。そう私は願っています。
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by yuzuru_yuyu | 2010-04-10 23:44 | piksi
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