Vijesti紙のブルザノヴィッチ インタビュー訳(意訳・誤訳御免)
・モンテネグロ代表に召集されなくなったのは、2008年9月のブルガリア戦での ヴチニッチとの喧嘩が原因との話について 今はそれが理由だと100%確信している。何が起こったのかといえば、 彼が僕を侮辱したのであって、僕が彼を、じゃない。 試合の後すぐに僕は代表を離れたいと思ったけれど、仲の良かったチームメイトが そんなことをするなと言ってきた。僕も余計な緊張状態はつくりたくなかった。 翌日、ヴチニッチが僕に謝ってきて、その後監督とチームメイトと会合をもった。 僕達は誤解をしていた。少なくともそう見えた。 ・その後召集されなかったブルザノヴィッチが、代表の雰囲気は良くないと言い、 フィリポヴィッチ代表監督を批判したことについて その時はそう思ったから言った。それは皆も知っていることで、僕はそれを言ったまでだ。 僕は代表で100試合プレイするだろうと思っていた。 結局7~8試合プレイしただけで、たぶんもうひとつもないだろう。 何か言うべきことがもっとあるのかもしれない。でも、問題を起こしたくない。 僕は今のキャリアに満足しているから。 フィリポヴィッチについては、彼とはいつも良い関係にあった。 彼はあのトラブルの後、僕を呼ばなかったし、何の理由も説明しなかった。 繰り返すけれど、彼は代表について何も考えていないと僕は思っている。 代表ではなにひとつ間違った歩みはしていなかった。いつも100%尽くしてきた。 サッカーをするものは誰もが自分の試合ではその時のベストを尽くすものだ。 僕はできる限り最良のプレイをした。 僕がモンテネグロ代表でなかったら、おそらく名古屋へは行かなかった。 あちらでは僕はツルヴェナ・ズヴェズダの選手としてではなく、代表選手として 知られている。 だから、正直に言うとデヤン・サヴィチェヴィッチにもゾラン・フィリポヴィッチにも 感謝している。彼らはある意味で、遠い日本でのチャンスを可能にしてくれたから。 僕は遠くにいる。現実的に、今召集されても、日本から帰って充分な準備をすることは 難しいだろう。 でも、もちろん、誰かが僕を必要だと思ってくれるなら、いつでも僕は代表のために戻る。 ・名古屋への移籍について それは僕の人生で最高の選択だった。 どれほど満足しているか、表すことができないほど。 大きなクラブでプレイしているけれど、サッカーを楽しんでいる。 ズヴェズダやブドゥチノストとは全く違って、それほどのプレッシャーはない。 もちろん、とても高い要求はある。 でもすべての敗戦は普通のことだし、すべての勝利も同じことだ。 ・名古屋はリーグ9位だったが、天皇杯決勝とACL準決勝まで進んだ クラブの歴史上最も成功したシーズンだった。トロフィーに近づいたけれど、 何も獲得できなかった。でも新しいシーズンはどの予想でも僕達はタイトルの 有力候補だ。僕達は最強のチームであり、正しい補強の新しい3人の選手が来るし、 素晴らしい監督がいる。僕はとても楽観的なんだ。 ・今後のプランについて できるだけ長く名古屋に残りたい。
by yuzuru_yuyu
| 2010-01-24 23:00
| grampus+j
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